心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

怒りの原因を洞察してみる。

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先日、久しぶり友人と喧嘩別れをする、という出来事があった。

相手の言ったことが私の逆鱗に触れ、言い返した何がが、相手の逆鱗に触れたらしい。
双方、「こりゃしまった」と怒りを引っ込めようとしたみたいだけど、何しろ逆鱗に触れてしまっているから、なかなか怒りが鎮火しない。
一応、大人として、怒ってしまったことに対しては侘びのメールを入れておいたけど、相手の「私は間違ってないし」的な返答に、余計ハラが立ってしまった(笑)。
以来、2ヶ月音沙汰なし…
 

喧嘩のネタは、自信喪失からいかに脱却するかという話

 
で、私が何にそんなに怒ったかのかというと、つまり、何が逆鱗だったのかというと…「自己肯定感」や「自信」を高めるにはどうしたら良いか、という話で、意見が食い違ってしまったことらしい。
その友人はとても親切な人で、その日も親切心からあたくしに「こうやったら自信がつくよ」と言いたかったのだ。
あたくしが鬱状態の時に知り合った友人だから、その人は、元気なあたくしを知らない訳です。いつも、身体のどこかが痛い、気持ちが落ち込む、将来に希望が持てない等の話をしている訳ですから、そんな日が半年も続くと「なんとかしてやりたいな」と思ったに違いありません。
で、その日、その方はアドバイスしてきたのです。
 
ボランティア活動でもして人から「ありがとう」と言われたら、自信持て持てるよ(だから、ボランティアでもやりなよ)
はい、実はこの一言で「なんでやねん(怒)」とドカンときてしまいました。
 
即座にキレた訳ではないのですけど、
「いや、なんで人から「ありがとう」って言われないと、自信持てないの?」
「ボランティアって、自分に自信持つためにするんじゃないでしょ?」
と、グズグズ駄目出ししているうちに、相手も「何で、素直に聞き入れないんだ、よ!」ヒートアップしてきて口論に……(笑)
 
何にしても人というのは、自分の枠から出た思考ができないのです。
おそらく、アドバイスしてくれた方自身が、「無償の行為によって人に感謝されることを、自らの自信への糧としてきていた」んだと思います。
その方は、50代後半の初老の男性だったのですけど、おそらく、この年代の人でこうした価値観を持っている人は多いと思います。
あたくしも若くないので、親や教師からこうした価値観を刷り込まれており、そのような考えを受け入れている部分もあります。
 
では、なぜ、そのアドバイスに怒りを感じてしまったかというと、それこそ、その考え自体が自分の鬱の根本原因だったからなのです。
「人の役に立てないと自分には価値がない」
……自分には、そんな深い深い呪いがかかっているのです。(最近の過労死問題とかにも関連するように思う)
 
そこに追い打ちをかけるようなアドバイスだったので、あたくしは怒りを感じたのでしょう。言った相手というより、自分にそうした呪いをかけた親とか社会の空気感に怒りを感じたのかもしれません。相手も、自分の自己肯定感の哲学を否定されたので、ことさら立腹したのでしょう。
 

では、どうしたら、「自己肯定感」や「自信」持てるのでしょう?

 
あたくしの考えとしては、「そのままの不完全な自分で、十分存在価値があるらしい」と気がつくことだと思います。
この辺、『嫌われる勇気』的なアドラー哲学入ってますね(笑)。
恐らく、Webで『自己肯定感を高めるための方法』とかを検索しまくったり、『自信が持てるようになる本』の類を貪り読んでいる間は、「自己肯定感」や「自信」には絶対に到達できません。誰かの基準を採用しようと思っている間は、呪いがかかったままなんですから。
あたくしもそこは通り、かなりグルグルしましたが、何だか脱出できそうです。
 
また、不思議な話ですが、今振り返ると、人の話に「NO!」と言える自分に、鬱回復の兆しを見て、何だか少し嬉しいですね。
本当に酷い鬱状態なら、違うと思っても面と向かって「違います」って表現できず、モヤモヤして帰って、布団の中でシクシク泣いていたでしょう。(そして、人と会うのやだあ。また、傷つけられる…って思ってしまうでしょう)
そういう訳で、一人友人を失ったことは悲劇かもしれませんが、怒りというのは全くの無駄ではなく、何でカッとなったのか洞察することで、自分をより深く理解するツールにもなりうるのですよ。
 

この話、続きがあって…

 
この怒りが収まった頃、別の友人のことを思い出したんです。
その子は高校生の時に大病を患ったこともあり、以来、自宅療養。大人になっても完治する見込みもなく、働いた経験もない。
いつも「自信ない」とか、「働いたこともないし恥ずかしい…」とか言っていたんです。
あたくしも元気な時は、他人に言っていたんです。
「ボランティアでもしてみなよ。気軽な気持ちで!」
…ですからね〜、因果を感じました。当時の自分は、上から目線な何て嫌な奴だったんでしょう! 恥です、恥!
 
すぐにその子に、過去の無礼を詫びる手紙を書きました。
これまでの無礼にも怒らず、変わらずあたくしを肯定し続けてくれたその子は、何て心が広いのでしょうか。
自信がない人には、友人としてこう言えばいいのでした。
「今のあなたが自分には大切な人です」
 
 
最後に話それますが、ボランティアをするなら、「困っている人を助けて感謝されよう」的なヨコシマな気持ちではなく、その行為をすることの気持ち良さを素直に感じて行いたいと思います……。奉仕活動の場には、「やってあげてる」的な思い上がり野郎がそこかしこに居りますもんで。