心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

カウンセリングの超基本、「傾聴」奥深し…。

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前回、カウンセリングへのモヤモヤから、カウンセリングの勉強を始めるに至った経緯をちょこっと書きました。

 

実は、その前段階として、過去に傾聴講座に2回ほど通ってます。両方とも主に老人ホーム等での傾聴ボランティア養成を目的としてて、1回目は傾聴関係の NPOが主催(5回コース)、2回目は地元の社会福祉法人が主催(6回コース)でした。

 

後でこの経験が効いてきて、カウンセリングへの興味が膨らむのですけど、当時はシンプルに「人の話の聞き方を学びたい!」でした。申し訳ないけれどもボランティア精神はほとんどなく、自分の為に参加したのです。

どういうことかと申しますと、心身を病んでからというもの10年、他人の感情に非常に敏感になりました。パニックを発症した経緯とも関係するかと思うのですが、恐らくは危険を回避しようと常に交感神経が意味もなく頑張っちゃっているのだと思う。

イライラしている人に接したり、友人の悩み事を聞いたりすると、そのマイナスの感情の影響をモロに受けて、自分まで具合が悪くなる有様。実は、ストレスに強くなるために気功を始めたのに、さらにも敏感になってしまい、余計に辛くなりました(まあ、そういうことはあるらしいです)。

メンタル的に弱ってしまい、引きこもりがちになって、これはイカんなと思って気晴らしに友人に会うと、「あたしはこれだけ一所懸命やっているのに会社で認められない」とかみたいな話をコッテリ聞かされて、グッタリしてしまうのです。言った本人はスッキリしているみたいですが…。

 

この、人の悩み事を聞いた後の激しい疲労感を何とかしようと思ったのが、「傾聴」のテクニック取得を考えたキッカケです。

話を聞いてはいるけれども、負の感情の直撃を受けずにいる方法があるに違いない…そう、合気道のように…。当初の自分の傾聴に対するイメージはまさに合気道、でした。

 

傾聴の練習は、いろんなバリエーションがあるんですけれども、実践的なのは、シンプルに2人1組になって1回10分程度、聞く人(傾聴者)と話す人の役割を決めて話してみるもの。もちろん、傾聴の基本「共感的理解」「無条件の受容」「自己一致」で聞くように心がけます。

これが結構、というか、かなり難しいのです。

過去のシンドかった思い出を聞いた際に、

(もう、終わったことだから、いいじゃん)

(若くて未熟だったから、そんな失敗したのでしょう)

(それは最悪ですね。自分なら耐えられない)

とか、思ってしまって、それが応答に出てしまったら、それは傾聴としては失敗なのです…けども、初心者はたいがいこの状態に陥ります。

また、

(どうせ、練習用のウソ話でしょう)

と真剣に話聞かないとか、逆に相手の話に引き込まれすぎて、

感情移入してオイオイ泣いてしまったりするのも失敗なのです。

 

理想は、相手の話を「そのまま」聞くことなんです。が、それが難しい。

誰しも、人それぞれの生まれ育ちから独自の価値観が作られているものですが、それを極力出さないで、かつ自分を失わないで、人の話を聞くというのは至難の技。どうしても、相手を評価したり、自分と比べたり、自分の中の類似の体験の思い出に浸ったりしてしまうものなのですね〜。

傾聴講座の参加者は、やはり介護というテーマが関わっていることから、初老の方が多かったのですが、どうしても年齢が上の方ほど自分の価値観が強固と申しますか、この「自分の価値観を外して相手の話を聞く」のに難儀しているように感じました(もちろん、高齢者にも超柔軟な心の方はいらっしゃいましたが)。

練習が終わった後で、

「あなた、こうすればイイのよ〜」とワザワザ自分の解釈での解決方を押し付けてきたり、「あなたの気持ちが全く理解できないわ」(←笑)と、とても正直な気持ちをぶつけてくる参加者もおりましたから。

また、男性に多かったような気がするのですが、「社会的にこうあるべき」のような、社会的常識という曖昧模糊なものをツイツイ持ち出してしまう方もおります。ま、これも個人の価値観が強い現れですよね。

 

傾聴講座によって、その到達すべき傾聴者の理想像が異なっていることも分かりました。1回目に受けた講座は、どちらかというと単発(一期一会タイプ)で行う傾聴者を育てる感じだったので、応答も瞬発力が求められるというか、こういうキーワードでてきたらこう返せばいい、みたいなテクニックを覚えましょうみたいな内容で、自分にとっては性急な、少し粗雑な感じがしました。

2回目の講座の時は、同じ人に継続して訪問することを念頭に置いているので、前者の講座よりはやや丁寧な感じ。自分の心と裏腹な表面上の傾聴的な返しテクのみでは、一人の人と長くお付き合いすることは難しいので、どちらかというと、自己理解…特に自分の価値観の特徴、偏り具合を洞察したり、他者理解…同じ境遇でも人によって行動が異なるとか、様々な価値観への理解などを促す演習テーマが多かったです。こっちの方が自分にとっては有益でした。

 

でも、ゴメンなさい。ボランティアに至らなくて…(コースはいずれもボランティア希望者でなくとも受けられるものでした)。やはり、心が元気でなければ、人の悩み事をドンと受け入れることはできないのだと痛感して終わったのでした。そこで、やっぱり、自己理解だよな〜ってなったのでしたっけ…。

 

最後に一つ…傾聴の実践の場が病院や老人ホームなど、弱ってる人が集まる場だからだと思うのですが、講座の参加者にもそうした場に近い人が多いように思いました。高齢者、福祉施設で働く人、難病、シングルマザー、障害児の親…などです(自分のようなメンタルやられも同様)。各人、何か思うところがあると思っての参加だと思うのですが、もっと様々なタイプの人が参加するようになればいいのになぁ、と思いました。

傾聴技術をどこでどのように使うか、となると、まずは病院や老人ホームだとは思うのですが、傾聴技術は様々な場面で人間関係をスムーズにしてくれる技術だと思うので、より一般的な場面で活用できる体験講座(で、手頃な費用の)が増えることを願っております。