心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

ハローワークにて。

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就職活動の一環でハローワークにも通っているのである。
 
今回は、相談員の所に履歴書を持参して、訪れた。
相談したいことはひとつ。
「ここで…」と、あたくしは履歴書の1点を指し示す。
「事件に遭い、体調を崩してからは、仕事が続かないのです」
現実は変えようもないが、気持ちの整理をつけて、面接時に淀みなく返答したいのだ。
 
相談員は「まあぁ」と言った。
職を失う度にハローワークには来ているのだけれど、犯罪被害を話題に盛り込んだのは初めてだ。
要するに、実験だな。
トラウマで働けなくなった人とか病気をクローズにして働いている人とか、そんなことに相談員がどんな対応をし、その時、自分がどんな気持ちになるのか芸の肥やしとして、知りたい。
 
相談員の回答は簡単だった。
「手短に適当言って誤魔化しなさい」
手短というのがポイント。詳細にこだわって長々喋ると馬脚を現すからね(笑)。
「家庭の事情」という伝家の宝刀があるではないか、すべからく職歴のブランクはあれでイケ、とのことだった。
 
嫌だなぁ〜、結局、嘘を付けというのがご指導なのだ。
いちいち本当のことを言いたくなってしまう自分の方がおかしいのだろう。
 
ただ「過去を取り繕うことにエネルギーを注ぐなら、今これから何ができるかアピールした方が効果的」とアドバイスされたことは、「その通り」だと思った。
 
何だかね〜、その相談員の雰囲気が、街角の手相見るおばちゃんみたいなんだよね(笑)。
「事件なんて随分前のことじゃない、忘れなさいよ。あなた何やってるの?」
「いい仕事について、誰かを見返したいというこだわりがあるんじゃないの?」
「心を込めて家事をすることだって立派な仕事なのよ?」
優しさを含んだ辛辣な言葉で、ズバズバ、グサグサ来る。
でも、この辺はこの10年、何度も人に言われたし、自問自答してきたことだから、想定の範囲内
 
 
 
だけど次の言葉には驚愕した。
「あなたより、罪を犯した人の方が、ずっと、職を得るのが難しいのだからね」
 
申し訳ないけど、当たり前じゃあないのよ! 比較しないでよ! と思った。
それより、犯罪被害者だって言ってる人の前で、それ言う?(笑)
あたくしは、カウンセリングでトラウマ治療をしたことさえ話したのだ。
 
しかし、元犯罪者の就労支援というのは、この方のライフワークらしく、何やらスイッチが入ってしまったようなのだ。
恐らく、あたくしの「犯罪被害者です」という言葉が、多分、そのスイッチを押したのだろう。
面白い…あたしが相談員に対して抱いた期待感には、予想以上のリターンがあったのだ。
 
「逮捕をきっかけに家族からも縁を切られてしまったような、そんな孤立無援な人をサポートする」と、その人は言った。
「再就職先は、悪い仲間と再会することがないように郊外にする」とか、
「再就職できないと再び罪を犯すから、何が何でも絶対に就職させる」とか、
とにかく、それらはあたくしの就職には全く関係ないのに、相談員の情熱的な語りは止まらない(笑)。
 
「あたしはね? 彼らには“刑に服して罪を償ったんだから、それまでのことは忘れて前を向いて頑張らなきゃ”って言ってんのよ」
そうなのだ、ここだけでなく、大抵のことは誰に対しても「忘れなさい」と言うのが指導の王道なのだ。
 
 
 
あたくしとあたくしの大切な同僚と職場を貶めて逮捕されたあの犯人も、「もう罪は償ったのだから」と励まされたのだろうか?
 
あたくしの犯人の場合は、罪を認めようともしなかったし、認めた後も言い訳ばかりしていたと聞くし、罰金50万円や、他にも損壊したものの賠償金などは、無一文の犯人の代わりにさして裕福でもないお姉さんが支払ったのだ。
事件から5年経った頃、もう事件のほとぼりが冷めたと思ったのか、SNSを通じて犯人から連絡が来た時も、全く悪びれている様子がなかった。
 
SNSはブロックしたものの不安に駆られ、インターネットで犯人の名前を検索(非常に珍しい苗字)すると、彼は今までとは全く違う職業についており、とある施設のHPでニコニコと笑った写真とともに「真心を…」とかほざいているのある。
 
それを目にした時の、自分の中に黒いシミが広がるような感覚が忘れられない。
 
嘘を付くことに何の良心の呵責もない彼は、罪を犯したことさえも誤魔化して、シレッと再就職したのかもしれない。
「忘れなさい」と言われる前に、自分のやったことを覚えていられないような人もいるだろう。
 
かつての自分だったら、相談員から今回のような言葉を投げかけられることも耐えられなかっただろう。
「あなたは被害者より、元犯罪者の肩を持つのか!」と、いきりたったかもしれない。
 
だけど、目の前の相談員の方は、“あたくしの”元犯罪者を庇っているわけじゃない。
犯罪被害者より元犯罪者の方が就職が困難である、と一般論を述べているだけなのだ。
犯罪被害に遭ったことで働けなくなる人だっているだろうけど、それはハローワークの管轄外。
就労意欲がある人であれば、そのバックボーンで選別することなく、あまねく就職のサポートをするのがハローワークなのだ。
そう考えると、目の前のこの相談員は仕事に熱心な全うな人であり、あたくしは多少くたびれていたとしても、まだまだ状況が恵まれた求職者だと言いたいのだろう。
 
「(いろんな意味で)こんなにハローワークで勉強させてもらったの初めてだわ」との満足感を胸に、最後にあたくしは相談員に感謝を述べて席を立った。
 
 
 
だけど、自分は気付いてしまった。
自分はまだ犯人をかなりの激しさで憎んでいる。
進歩したのは、その憎しみを赤の他人に向けなくなったことだけ、である。
 
トラウマによる恐怖心が薄れて、外に出たり、新しい人と知り合うことへの不安が軽減されても、それは犯人への怒りが収まることとは全く別のことなんだ。
 
自分は未だに、犯人に一生、自分のやったことを後悔し続けてもらいたいし、どれだけ卑劣で最低なことをしたのか恥を感じ続けてもらいたい、と思っているのだ。
 
全く自分に縁もゆかりもない人から過去の罪を告白されたら、あたくしだって「それは償ったんだから」と言うだろう。
だけど、それとこれとは別、絶対あたくしはあの犯人を忘れないし、許せない。
そう頑なに思う自分がおり、それは自分が今以上に安らかになるために、乗り越えたい山なのだ。

頭のネジが取れたようだ。

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セーターを後ろ前で外出し、一日中、あるいは親切な人が指摘してくれるまで全く気付かない…とか、そういうところがあたくしには昔からある。
久々にやってしまった。
気がついたのは、地元の駅に着いて肌寒さからカーディガンの前ボタンを閉じようとした時…。
「これ…裏返しに…着てる…!」
 
ものすごく危機感があるのは、特に忙しくもなく、慌ててもいないのに、ごくナチュラルな感じで立て続けにウッカリなミスを連発している、その頻度の高さだ。
 
先日、知人の個展に出かけたら、ギャラリーは閉まっているのである。
ポカンとしていたら、隣のテナントの人がスケジュールを教えてくれた。
「一週間、早く来ちゃったんだ!」
その上、忘れていたと思っていた、案内のハガキも鞄の底から発見された。
 
その他にも、とある書類の発行を郵便で申請したら、何種類か必要な本人確認の書類を(準備していたにも関わらず)同封するのをガッツリ忘れていた、というのもある。
 
 
 
しかし、その程度なら自分の中ではギリギリ許容範囲だったかもしれない。
心底「まいったな」と思ったのは、先日、友人の紹介で面接を受けた時のこと。
今度は短期のアルバイトではないので面接官は真剣だ。
「さあ、あなたの職歴を最初から直近のまでお話しください」と来た。
各職場でどんな仕事をし、そうしてどのような理由で辞めるに至ったのか…?
そういうことが人事担当者は聞きたいのだな。
 
実は、自分、事件以来10年間は2年以上続いた仕事がない。
まさか「身体中に蕁麻疹が出まくって辞めました」とか「朝起きたら身体が布団から出られなくなって辞めました」なんて言える訳もなく、そもそも事件に遭ってから少々おかしくなったなんて言ったら、即、ゲームオーバーだ。
その辺りは今までは全て嘘で塗り固めてきたのだ。
 
だから、もちろん最初のうちは緊張していた。
しかしその日、次第に自分はいつになくリラックスしてしまい、辞めるに当たっての自分の正当性を主張していたのだった…。
それは間違いなくお門違いな場面だったのだけど、ごく自然に、客観的に“前職を辞めるに至った経緯”を語る自分に、あたくしは驚いた。
 
「部署内の人がメンタルダウンしそうなのに気がついて、上司にそれとなく訴えたり、その人の悩み事を聞いていたのだけれど、その人は結局辞めてしまった。
 一番新人のあたくしが何故か後を継ぐことになり、本来の仕事も回らなくなった。
 欠員補充もなく、その状態が改善される様子もなかったので辞めました」
 
いや〜これ言ったら、あはは、ダメだよね。
どんな境遇でも頑張ります!って風を醸し出さないとアウトなの。
 
いつもなら、止むに止まれぬ感を出したりして、もっと上手く説明してきたの。
その辞めた会社だって「今度こそ頑張るぞ〜!」とか思って入った会社だったのよ。
だけど、年下の上司は社長の恫喝を食らい続けて毎日涙目だし、それをフォローするだけでも毎日辛かったの、本当は。
 
自分の深層心理が「もし御社がそんな感じだったら、あたくしきっとすぐに辞めますわよ?」って言いたいんだろうな(笑)。
これまで、割と巧妙につけていた嘘が、何故かつけなくなったのだ。
これは、困った。
 
 
 
「そういう訳で、肝心な時に自分はフニャフニャで役に立たなくなったのです」
と、あたくしはカウンセラーの先生に訴えた。
「少しはシャキッとできないと、職にありつけない…」
 
先生は「就職活動、上手くいくといいねぇ〜」と前置きしてから、こう続けた。
「世界の方が狂ってるんだから、無理に合わせなくてもいいんだよ?」
その言葉は嬉しい、嬉しいのだけれど、現実に則してない。
狂ってるとしても、少しは世の中に合わせられないと、自分はいつまで経っても無職だ。
 
そんなあたくしの呪いを解くように、先生は言う。
「きっとどこかに、あなたに合う職場があるさぁ〜♪」
 
カウンセリングを受けているうちに、あたくしの頭からネジが一つ取れたみたい。
取れたなら、拾って付け直せばいいのだけれど、そのネジは、取れた弾みで転がって、側溝に落ちてしまったらしい。
これは困った。
しかも、落ちたらしいことは分かるけど、それがどんなネジかは分からないのだ。
 
「他の人が気付かないことに目配れるってことはさ、そういう仕事に向いてるってことじゃないの〜?」と先生がフォローしてくれる。
そうかもね。
だから自分はカウンセリングの勉強までしたに違いない。
だけど、それほど辛かったんだ。
みんなが見ないで済んでいるところが見えてしまうことが、そうして気付いてしまったら何もせずにいられないことが、辛かったのだ。
 
カーディガン裏返しでも、面接に落ちても、いままでのように過剰に自分にガックリきたり、怒りが湧いてこないのも、不思議なのだった。

腎臓を温める。

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自分的には、カウンセリングと気功はとても被る部分があって、カウンセリングが面白くなってきた頃から、次第に気功のレッスンからは遠のいてしまった。
どうやら、あたくしにとっての先生は一人で充分らしい。
 
気功の先生は、人の気を見る際は「ちゃんとその人に挨拶をして、玄関で靴を脱いで、静かにその人の中に入るように」と言っていた。
下手な人は、バアンと乱暴にドアを開けて、土足でドタドタ入り込むが如く、こちらの心の準備もおかまいなしに、乱暴に気を送るという。
そうでなくって、ソっとね、と気功の先生は何度も繰り返していた。
凡人のあたくしにとっては「なんのこっちゃ?」だったのだけど。
 
しかし、カウンセリングであれば、その例えは非常に腑に落ちるのだ。
あたくしのカウンセラーの先生は、とても礼儀正しい。
驚かせないように、静かに入ってくる感じがよく分かる。
何でも最初に「◯◯していい?」と、こちらの許可を求めてくれる。
「メモを取っていい?」とか「もっと詳しく聞いてもいい?」とか。
そうして気が付いたら、心のリビングの中央に鎮座しているのだけど…。
 
 
 
今日は、身体の痛みの話になった。
あたくしは、ここ5年程、ずうっと身体がガッチガチだ。
パニック発作が起こりにくくなり、予期不安も随分マイルドになった頃から、その苦痛を補うように身体が硬く痛むようになった。
イメージ的には、炙られたスルメが縮んでグルンと丸まる感じ。
マッサージに行って身体を伸ばしてもらったりすると、意外に自分の身体は柔らかいそうだ。
…なのだけど、マッサージの帰り道にはもう、あれほど揉みほぐしてもらった背中の筋肉がピキピキと硬直していくのを感じる。
自分の中の何かが、常に身体を緊張させ強張らせてようと頑張っているのだ。
 
「どこが痛い感じですか?」とカウンセラーの先生が聞いてくる。
以前「身体がガチガチです」と訴えたところ、「湯船に浸かってよく温まりなよ」と親戚のオジさんのようなアドバイスをいただいたことがあるので、特に期待はせずにあたくしは取り止めもなく答える。
「心臓の後ろが痛い。そこが痛くなかったら、心臓がもっと楽になりそうなのに…」とか
「あ! あと腎臓の辺り、硬いですね〜 バンバン叩いたりします」とか。
 
そうしたら、腎臓という言葉に先生が反応した。
何でも、腎臓のあたりに手を当てて温めるのが、癒し業界のトレンドらしい。
それがストレス軽減に繋がるんだとか。
「本当に効くかどうか分かんないけどさ」と先生があはっ、と笑う。
ほらやっぱり、親戚のオジさん的な会話だわ、と思いつつも、自分は両の手を後ろに回して腎臓の辺りに当ててみる。
やっぱり似ているな、気功とカウンセリング。
気功でも、腎臓は生命の泉がある大切な場所とされていて、やはり手を当ててナデナデしなさいと言われたりする。
 
自分の手は、ヒンヤリとして冷たかった。
「…なんか、腎臓が寒い〜と言ってます」
あまりにも手が冷え冷えとしていて、腎臓がキュッと身を縮こまらせたのが分かった。
「ええ? そのうちに温かくなってきませんか?」と先生は聞く。
「ならない」
 
「自分の手、すごく冷たいから…」と、子どもがピアノを弾くような感じで、あたくしは両手を先生の前に差し出した。
先生は「ちょっと…いいですか?」と前置きして、右の手のひらを自分の左手の甲の上にソっと重ねた。
「!」
 
「本当だ、冷たい。僕の手、温かいでしょう?」
先生はそんなことも、どこか自慢気に言う(笑)。
すっかり忘れてたけど、先生はボディワークの先生でもありクライエントに触れる人なんである。
あたくしはカウンセラーは絶対にクライエントには触れないと思い込んでいたので、虚を突かれた。
 
 
 
実は前から先生の手がとても温かいことを知っている。
 
いつだったか帰り際にカウンセリングの代金をお支払いする時、ウッカリ手に触れてしまったことがあるのだ。
最初に温度が接近してきて、指先自体が触れたのは瞬きほどの時間だったと思う。
自分はそんなことも、潔癖な女子学生のように罪深く考えていた。
 
「ホントだ、先生の手から何か出てるね!」
「何にも出してないって(笑)」
手を離すと、そのぬくもりは淡雪のように消えていく。
 
実は陽性転移が最も激しかった頃、帰り際に先生にカウンセリング代をお支払いする時、その手を掴んで思い切り引っ張りたい誘惑に、何度も駆られていた。
きっと先生は驚いて手を素早く振り払うだろうし、自分はそれでとても冷静になれるだろう。
いや、冷静になるどころか、ムキになって力いっぱい腕にしがみ付くかもしれないな、と心配もしていた(全てのカウンセラーはこの辺のリスクに対し、どのように心得ているんだろう?)。
 
だけど、そういう試みをしないで済んで良かったなぁ、とホッとしていたのだ。
自分から信頼関係をぶち壊すような真似をしなくて良かった。
相手の誠実さを疑って、試すようなことをしなくて良かった。
 
その後、話は「痛いところばかり見つめないで、心地よいところにも目を向けるように」といった重要な…この日のカウンセリングの最も大切なアドバイスに繋がるのだけど、自分はハイハイと聞きながらも、ずっと先ほどの出来事の儚さを考えていたように思う。
 
先生に触れることがあるとすれば、このカウンセリングが最終回を迎える時の別れの握手だろうと思っていたのだ。
その時しかチャンスはない! と思い込んでいたのですよ(笑)。
妄想なんかは絶対その通りにならないのだから、そんな先のこと考えなきゃいいのになぁ!
 
そうして、この、人のぬくもりを求める気持ちは、どちらに流していけば健全と言えるのだろう?

あなたの父親は完璧なのよ?

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母と電話していたら、流れであたくしのカウンセリングの話になった。
あたくしがそこで何をしているのか、カウンセラーの先生に何をされているのか、母は興味があるようだ。
 
それに、あたくしがカウンセラーのお世話になることに、母は負い目を感じてる。
あたくしのカウンセリング通いは、
 「あなたがやり損なったことがあるから、娘は病んでカウンセリングを受けてます」
 と、暗に母を責めているのだろう。
 
確かにかつては責めてるニュアンスがあったけれど(笑)、今は正直、そんな気持ちはない。
たくさんのことがすでに解決したし、残っているものも解決しつつある。
今の先生のカウンセリングを受けてから、自分はだいぶ色々なことが分かってきた。
 
「それでも続けるのは、もっと自分を知りたいからだよ?」
「要するに、面白いからやってるんだよ」とあたくしが説明すると、
「そこまでして、どうして自分のことを知らなければいけないのか?」と母は言う。
 
そこまでというのは、お金と時間とあたくしの苦悩、全てに関してだと思う。
「もっと好きなことをして気晴らしした方が良くないかい?」
「お小遣いが足りないなら、言ってね?」 
そんなお金持ちの人みたいなことを母は言う。
 
 
 
うっかり「カウンセリングではカウンセラーはパパ役をするんだよ」と言ってしまったら、母は軽くショックを受けたみたいだ。
「ほら、自分のカウンセラーは男性だから、パパ役になるんだよ」と慌てて付け足しても母は納得しない。
それは、母だけでなく父もまた不足があったから、と言っているようなものなのだろう。
「いやそういう訳でなく…」
どんな柔らかい言い方をしたら通じるだろうと思いながら、
「ほら、お父さんはさ、すごく忙しくて育児にあまり参加できなかったじゃない?」
と言ってみた。
昭和の父は、みんな普通にそんな感じだから。
 
「あんた分かってない、そんなことないよ!」
間髪入れず、母は大きな声を上げた。
「お父さんはね、毎晩仕事から帰ってくるとまず一番最初におまえの側に行って、頭からつま先まで、どこか怪我をしていないか調べてたよ?」
その話を聞くのは初めてではなかったんだけど、なんだか今日の印象は違ってた。
「おまえを宝物のように扱って、ちょっとでも怪我をしていたら、あたしはもの凄い剣幕で怒られたんだから!」
 
だから、父親は全然育児に参加してなかった訳じゃない。
子どもをとても愛していたし、実際に大切にしていた。
育児に参加する理想的な父親だったんだよ、と母は力説する。
それなのにあんたは、何だってカウンセラーのパパ役が必要になるのよ? と。
 
真実を捻じ曲げて何事もなかったかのように解釈する母に、いつもイライラしていた。
何もないのに不満を訴えるおまえの感覚がおかしい、ひねくれている、と何度も言われた。
 
だけど今日は、一生懸命に父をかばう母に、初めて「あぁ、大変だったんだね、お母さん」という気持ちがジワァ〜と湧いてきた。
 
 
 
人は、生まれてからおおよそ3歳くらいまで記憶の空白期間がある。
実はこれが愛着形成にとってとても大切な時間らしい。
その間に作られた癖みたいなものは、3歳以降の記憶や思考によって解釈されることになるのだけれど、それは時に相当お門違いだったりするらしい。
…と、最近、本で読んだ。
 
自分が一生懸命に謎解きしようとしても、カウンセラーの先生から「無駄!」「ハズレ!」と言われるのはそういうワケだ。
 
赤ちゃんの頃のあたしは恐らく、自分のせいで母が父から怒られている場面を、見ている。
ビックリして動きが止まっているかもしれない。
怖くて泣いているかもしれない。
 
当然覚えていないけれど、赤ちゃんだった自分は何かを見て学習したはずだ。
どうしたら、この空間が平和になるか、一生懸命に考えたかもしれない。
 
自分の中の安全基地がどのように不完全なのか、あたくしには知る由もない。
そうして、その修復にはカウンセラー扮する偽パパのサポートが必要だなんて、親に理解できるワケがない。
カウンセリングルームで自分の魂が、赤ちゃんから現在までの様々な時間を行ったり来たり、壮大な旅をしているのなんて、到底伝えきれないのだ。
 
 
 
電話の向こうから母の声が聞こえてくる。
「お母さん、子どもの頃のおまえに、いろいろ頼っちゃっていたの、ごめんね」
「うんうん、分かってる、大変だったの分かってるから」
咄嗟にそうは言ったけれど、それは実は意外な言葉だった。
 
本当は自分、全然分かってないのかもしれない。
だけれどもきっと、あたくしはずうっと、そんな言葉を待っていたのだ。
だからもう、余計なことを言う必要はない。
 
先生にいつも「その感情を、よく味わいなさい」と言われているのに、あたくしはあっという間に感情の渦に飲まれてしまった。
ダメだな、自分、修行が足らぬ。

また、嘘をつく。

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前回の面接で夢の中の徒競走の話をした時に、私は言った。
「わたしは足がとてもノロいので、一等賞なんて夢の中でしかありえない。
 現実では、小学校の6年間、徒競走で四等賞以上になったことがありません」
だいたい6人くらいでヨーイドンで、いつも後ろから数えた方が早い感じ。
 
「その時、どんな気持ちでしたか?」とカウンセラーの先生が聞いてきた。
まさか現実世界の話になるとは思ってなかったので、自分は少しうろたえたのかもしれない。
慌てて、まくしたてるように、こう言った。
「どんな、って別に? 早く終わればいいなぁ〜って思ってましたよ?
 でも、そんなに気にならない。自分はお絵描きやお勉強は達者だったから」
自分は明らかに不自然で、何やらソワソワしていたのだけど、先生は「あっ、そう?」と言って、その日の面接は時間を迎えてお開きになった。
 
帰り道、そのモヤモヤ感を抱えながらの帰途、自分はその理由に気が付いて、面接の最後の方をやり直したくなった。
路上で足が止まり、走って戻りたくなった。
なし! なし! さっきのなし!
 
ああ、また嘘をついてしまった…
 
 
 
そういう訳で、今回の面接はのっけからその件を話題にしてみる。
申し訳なさそうにカミングアウトする自分に、
「あなたが嘘を付いてもさぁ〜、僕は全然気が付かないよ?」
「いつもそんな風に考えちゃうの?」
そういう時、先生は、ややサディスティックな感じの笑みをする。
「でも、あなたが言いたいというなら、ホントのこと言ってもいいけど?」
 
あっ、そうですか、じゃあ言いますね?
「徒競走でビリでも平気だった、っていうのは嘘です」
あれは大人の自分が子ども時代の自分に言ってあげたいことで、当時の真実の気持ちではないのです。
 
母親が朝から海苔巻きとか唐揚げとか作って、父親は一眼レフを抱えて運動会を見に来るんです。
その晴れの舞台で毎年ビリ。
前日まで雨が降らないか期待していたし、当日は熱の朝は平熱であることを呪ってましたよ。
本当は…とても嫌でしたよ。惨めでした。
 
惨めな気持ちを思い出したついでに、あたくしは、とんでもないことも考えていた。
自分は、こんな歳にもなって、“ああ、先生がパパだったら、運動会でビリでも自分に気まずい思いをさせないのになぁ”と思っちゃっていたのだ。
 
子どもの頃、何でも「早くしろ」と急き立て、ダラダラしていると不愉快になる父親を怖がっていたことを思い出したのだ。
そんな父の嫌な部分を、何故だか自分はずうっと忘れていた。
手を叩いて何事も急がせる父を、子どもの時は本当に恐れていた。
「自分はね、たとえ父に嫌な部分があったとしても、それは父のほんの一部分だと分かっているつもりなんですよ? でも、そんなお父さんは嫌だなあ、取り替えちゃいたいなあ〜って一瞬でも思っちゃったんですよ。世界でたった一人の実の父なのに」
 
 
 
先生は、勝手に50歳のオバさんのパパにされちゃったことには一言も触れずに、言った。
「あなたはホントにもらい下手なんだなぁ」
 
そう、「もらい上手になる」ってミッションはまだ継続中なのだ。
 
「僕、あなたの話を聞いてて思うんだけど、あなたのお父さんやお母さんは、あなたが運動会で一等賞取ることなんて期待してなかったと思うんだけど」
あたくしは、そう言われても全然ピンとこない。
「我が子が走っているの見れたら、何等賞でも良かったと思うよ」
ねえ、そうじゃない? という顔を先生はする。
 
そこまで言わせてやっと腑に落ちるのだった。
 …ああ、そうだねぇ、考えたこともなかったけれど、もし自分に子どもがいたら、きっとそう思うに違いない。
親として多少歯がゆく思っても、そんなことで我が子を恥ずかしく思ったりしないだろう。
 
しかし“もらい上手”をマスターするのは難儀なことだ。
しばし間を置いて、あたくしが率直な感想を伝えると、先生は「いや、今、ちょっと出来てた」と言う。
どこが“ちょっと出来てた”のかは全く分からない。
 
あたくしが妄想の世界の理想のパパにすがりつこうとすると、先生はそっと現実の世界にあたくしを押し戻す。
現実の世界で、ちゃんと受け取りなさいと促す。
 
「もらい上手」になれば、自分の中に揺るぎない安心感が生まれて、以前のような場面でもパニックが起きなくなるよ、と先生は言う。
 
そうなったらどんなにいいだろう?
 
勝手に罪悪感を感じたり、別の自分になりたいと思ったり、常に頑張ってないと愛されないという脅迫観念に駆られたり、そんなことから解放されたらどんなにいいだろう?
 
そんなことにメモリーを使わずに済んだら、どんなに心も身体も軽くなるだろう!
 
先生はあたくしの言動を疑ったりしないし、嘘を見破ったりしない、移ろう自分をそのまま見ている。
だから罪悪感なんて必要ないんだ。

夢分析的アプローチ。

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夢の中で泣いてしまい、その自分の泣き声で目覚めたことはあるだろうか?
幼少期…おそらく4〜5歳の頃の夢で、とても印象的なものがある。
 
子どもの夢のパターンとしてはいたってシンプルで、母親が死ぬ夢だ。
 
運動会で一等賞を取り、副賞に置き時計をもらうのだ。
昭和な時代、サイドボードの上に置いてあったような飾り時計。
それを得意になって親に見せようと観客席に戻ると、人だかりになっている。
胸騒ぎがすると、近くの人が教えてくれる。
「あなたのお母さん、ベンチの下敷きになっているよ」
見ると、コンクリートのとても頑丈そうなベンチがひっくり返っている。
この下にお母さんが?
大人の男性3人くらいでそのベンチを避けると…そこには…
殻から割り出された、生卵が… 土の上にビロ〜〜ン、と!
これがお母さんというのか! 何という姿に!
あたくしはビックリして号泣。
うわ〜〜〜〜ん!
 
…である。
こうして書くと、全くもって陳腐で怖い夢じゃないんだけれどね、自分にとっては非常に怖い。
現実の自分は、幼少期から驚くほどノロくて徒競走どころか日常生活でも後ろの方をヨチヨチ走っていたから、一等賞なんてありえないのだ。
それだからなのか、この夢には強烈に訴えてくる教訓があるのだ。
 
「おまえが楽しむと誰か死ぬ」
 
 
 
たった一度しか見ていない夢が、なぜそんなに強烈に記憶に残るのか分からない。
おそらく夢そのものより、その夢が持つメッセージに恐怖しているのだろう。
夢のことは忘れても、その夢が残した教訓は常に頭から離れない。
 
自分はいつも楽しみすぎないように気を付けてきた。
有頂天にならないように気をつけ、周囲から浮き上がらないように調和を保つ。
それは、すでに4〜5歳に生まれた感覚なのだなぁ。
 
思う存分楽しんだ時、多くの人は爽快感を得られると思うのだけれど、あたくしの場合はどこか後ろめたさを感じ、「すみません、見逃してください」となってしまう。
誰に見逃してもらいたいのか?(笑)ってのは分からない。
何か、人智のおよばぬ壮大なパワーが、楽しむ自分に怒りの雷を落とすと思い込んでしまっている。
 
この夢から導き出されるメッセージが、自分の全般性不安障害による漠然とした、しかも結構強烈な不安に緩やかに繋がっていることに気付いたのは極く最近だ。
だから、そのうちカウンセリングでこの夢の話をしようと思っていた。
 
 
 
あたくしはずっとこの夢は、ぶっちゃけ“母親から植え付けらた禁忌”だと解釈していた。
今でこそ母親への感情は冷めたものだけど、幼少期の自分にとって母親は守ってもらいたい大切な存在であったろう。
当時、母親の死をイメージするような出来事が自分に起こったのかは記憶にないのだけれど、何か「いい子にしてなきゃ!」と思うような出来事があったに違いないと。
 
しかし、いつものことですが、カウンセラーの先生は最後まで聞いて一言。
「それは違うような気がするなぁ〜」
 
はい、そうですか。そう来ると思っていました。
最近では、こうした全否定も驚きません(笑)。
いや、むしろ、そのために先生にお話ししていると言っても過言ではないのです。
 
「夢は本来、健全なものだから」と、先生は言った。
そうだろうか? あんなに怖い夢なのに?
 
「夢の中のお母さんが、現実のお母さんじゃないことは分かってる?」
「そうなんでしょうね、夢の中では生卵ですからね」
「夢の中のお母さんってのは、あなたの中の母性の象徴だと思うのだけど」
「わたしの中のかぁ…」
「その頃、あなたの成長過程で古いお母さん像が死に、新しい母性が生まれつつあったんじゃないのかな?」
 
「じゃあ、じゃあ…」あたくしは問わずにはおれなかった。
「どうして、“楽しむと誰かが死んじゃう”って解釈に結びつくんですか?」
 
「夢はさあ、健全なんだよ?」
先生がもう一度、夢の健全性を強調する。
え〜、その根拠は?と思いながらもあたくしは応える。
「じゃあ、わたしの解釈が不健全ってことなんでしょうか?」
 
「いや、不健全とまではいわないけどさ、
 それが、あなたの思考の癖なんだな」
 
癖…
 
 
 
 
「あなたさぁ、そんなに走らなくてもいいんだよ。
 一等賞じゃなくてもいいんじゃない?
 途中で嫌になったら走るの辞めたっていいし、
 そもそも徒競走に出なくてもいい…」
 
すでにこれは夢の分析ではないな? 現在の自分に関する話に違いない。
子どもの頃の怖い夢は、もう怖い夢ではなくなった。
あれは、幼児期を脱して子どもの世界に入ろうとする時のシンボリックな夢。
 
けれど、「おまえが楽しむと誰か死ぬ」「いつも頑張らねばならない」といった数々の強迫観念は、宙ぶらりんになってまだ存在していた。

話すよりも恥ずかしく怖いこと。

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カウンセリングでクラシックカメラの話をしたのをきっかけに、
「じゃあさぁ、今度、撮った写真を持って来なよ?」
と、カウンセラーの先生に勧められた。
それであたくしは、すっかり動揺しているのであった。
 
先生は軽い気持ちで言っただけ…なのは分かっている。
自意識過剰なあまり、こちらがこんなに苦悩しているとは露ほども知らないだろう。
 
普段の面接では自分は聞かれてもいないことまでもペラペラと率先してお喋りしてしまうし、すでに頼まれもしないのに、カウンセリングルームに自分が描いたイラストや昔に作った粘土細工を持参したことがある。
それはそれは無理矢理で不自然な、開けっぴろげさ、なのである。
 
自分は他人と適度な距離感を保つのがとても下手くそだ。
目の前からその人がいつ消えてしまうのか不安でたまらない。
自分はいつも焦っている。
 
カウンセラーとの関係を急速に距離を縮めようと、自分のあらゆる情報を提供しようと無理ばかりした。
その様子はカウンセラーから見ると痛々しかったのだろう。
「心の準備が出来てないことは、無理に話さなくてもいいんだよ?」とやんわりと止められたことが何度かある。
そんな時も、自分は自分の心が準備できているのか省みる余裕もないのだ。
 
自分は相手に理解してもらいたいという煩悩にまみれている。
それなのに、相手からご要望があると尻込みしてしまう…そんな自分は何なのか?
そうして、お喋りするよりも、自分が撮った写真を見せる方が、恥ずかしくて怖いとは!
 
 
 
とりあえず、「いやいやいや! 写真は苦手で…」と、軽く断ったりしてみた。
普通だったら、「あ、そう?」とかで終わりそうな話題なのだけれども、何故かこの件に関しては先生は熱心に写真作品を持ってくるように口説いてくれるのだった。
 
学生時代はいつもコンパクトカメラ持ち歩き、よく写真を撮った。
その頃の自分には、留めておきたい時間がたくさんあったのだろう。
でも、仕上がったプリントを見ると、何だか違う。
 
「それに、自分の写真って、何だか隠し撮りみたいな感じなんですよねー」
自分の写真の出来は不本意だなのだ、という言い訳を先生は聞かないフリをする。
「いいの、いいの、そんなんで」
 
いや、あたくしはそんなのよくない、どうしたら良いのだろう? と考える。
ついつい自分の心は、正解探しに奔走してしまう。
「あ、そうだ、たくさん撮りまくって、現実と写真のギャップを埋めていけばいいんですね!」
思わず思考をそのまま言葉にすると、すかさず先生が返す。
「いいの、ズレたまんまで!」
そうそう、先生のポリシーは「変わるな!」でしたっけ…。
 
「ズレてるな〜って感じるだけでいいんだよ?」
ただ感じるってのが、自分にとっては難しいのだ、とても。
 
 
 
先生はあたくしに言った。
「あなたはさぁ、お喋り上手いよね〜。
 あなたのお話は聞いていて面白いよ?」
でも、これはきっと、褒め言葉ではないのだな。
 
この時間はあたくしが自分の為に準備した時間なのに、こうしている間にもあたくしは、先生を楽しませようと考えてしまっている。
自分に向き合うための時間なのに、相手の反応ばかり考えてしまう。
 
あたくしには半世紀近くを費やして築き上げた言葉の鎧があって、きっと今、それがものすごく邪魔になっているんだろう。
この先に進むのには、“非言語の世界”に突入する必要があるのかもしれない。
そこは言葉のデコレーションが通用しない世界だろうからね。
 
そのうち自分は、かなり頑張ってそれらしい写真を撮り、大きめにプリントして持参するに決まってる。
そうして先生が黙って写真を眺める側であたくしは、またもやあれこれ言葉で繕おうとするのだろう。
 
本当の自分を知ってもらいたい。
けれども、本当の自分を知ったなら、きっと相手は失望するに違いない。
この矛盾する気持ち、強固な信念を、自分は変えることができるのだろうか?
 
それとも、これはいつもの邪推であり、おずおずと写真を差し出したあたくしに、
「は〜、こんな感じですか、確かに…あははっ♪ いいじゃないですか!」
と、先生はまるで能天気なコメントを投げかけてくれるのだろうか?