心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

腎臓を温める。

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自分的には、カウンセリングと気功はとても被る部分があって、カウンセリングが面白くなってきた頃から、次第に気功のレッスンからは遠のいてしまった。
どうやら、あたくしにとっての先生は一人で充分らしい。
 
気功の先生は、人の気を見る際は「ちゃんとその人に挨拶をして、玄関で靴を脱いで、静かにその人の中に入るように」と言っていた。
下手な人は、バアンと乱暴にドアを開けて、土足でドタドタ入り込むが如く、こちらの心の準備もおかまいなしに、乱暴に気を送るという。
そうでなくって、ソっとね、と気功の先生は何度も繰り返していた。
凡人のあたくしにとっては「なんのこっちゃ?」だったのだけど。
 
しかし、カウンセリングであれば、その例えは非常に腑に落ちるのだ。
あたくしのカウンセラーの先生は、とても礼儀正しい。
驚かせないように、静かに入ってくる感じがよく分かる。
何でも最初に「◯◯していい?」と、こちらの許可を求めてくれる。
「メモを取っていい?」とか「もっと詳しく聞いてもいい?」とか。
そうして気が付いたら、心のリビングの中央に鎮座しているのだけど…。
 
 
 
今日は、身体の痛みの話になった。
あたくしは、ここ5年程、ずうっと身体がガッチガチだ。
パニック発作が起こりにくくなり、予期不安も随分マイルドになった頃から、その苦痛を補うように身体が硬く痛むようになった。
イメージ的には、炙られたスルメが縮んでグルンと丸まる感じ。
マッサージに行って身体を伸ばしてもらったりすると、意外に自分の身体は柔らかいそうだ。
…なのだけど、マッサージの帰り道にはもう、あれほど揉みほぐしてもらった背中の筋肉がピキピキと硬直していくのを感じる。
自分の中の何かが、常に身体を緊張させ強張らせてようと頑張っているのだ。
 
「どこが痛い感じですか?」とカウンセラーの先生が聞いてくる。
以前「身体がガチガチです」と訴えたところ、「湯船に浸かってよく温まりなよ」と親戚のオジさんのようなアドバイスをいただいたことがあるので、特に期待はせずにあたくしは取り止めもなく答える。
「心臓の後ろが痛い。そこが痛くなかったら、心臓がもっと楽になりそうなのに…」とか
「あ! あと腎臓の辺り、硬いですね〜 バンバン叩いたりします」とか。
 
そうしたら、腎臓という言葉に先生が反応した。
何でも、腎臓のあたりに手を当てて温めるのが、癒し業界のトレンドらしい。
それがストレス軽減に繋がるんだとか。
「本当に効くかどうか分かんないけどさ」と先生があはっ、と笑う。
ほらやっぱり、親戚のオジさん的な会話だわ、と思いつつも、自分は両の手を後ろに回して腎臓の辺りに当ててみる。
やっぱり似ているな、気功とカウンセリング。
気功でも、腎臓は生命の泉がある大切な場所とされていて、やはり手を当ててナデナデしなさいと言われたりする。
 
自分の手は、ヒンヤリとして冷たかった。
「…なんか、腎臓が寒い〜と言ってます」
あまりにも手が冷え冷えとしていて、腎臓がキュッと身を縮こまらせたのが分かった。
「ええ? そのうちに温かくなってきませんか?」と先生は聞く。
「ならない」
 
「自分の手、すごく冷たいから…」と、子どもがピアノを弾くような感じで、あたくしは両手を先生の前に差し出した。
先生は「ちょっと…いいですか?」と前置きして、右の手のひらを自分の左手の甲の上にソっと重ねた。
「!」
 
「本当だ、冷たい。僕の手、温かいでしょう?」
先生はそんなことも、どこか自慢気に言う(笑)。
すっかり忘れてたけど、先生はボディワークの先生でもありクライエントに触れる人なんである。
あたくしはカウンセラーは絶対にクライエントには触れないと思い込んでいたので、虚を突かれた。
 
 
 
実は前から先生の手がとても温かいことを知っている。
 
いつだったか帰り際にカウンセリングの代金をお支払いする時、ウッカリ手に触れてしまったことがあるのだ。
最初に温度が接近してきて、指先自体が触れたのは瞬きほどの時間だったと思う。
自分はそんなことも、潔癖な女子学生のように罪深く考えていた。
 
「ホントだ、先生の手から何か出てるね!」
「何にも出してないって(笑)」
手を離すと、そのぬくもりは淡雪のように消えていく。
 
実は陽性転移が最も激しかった頃、帰り際に先生にカウンセリング代をお支払いする時、その手を掴んで思い切り引っ張りたい誘惑に、何度も駆られていた。
きっと先生は驚いて手を素早く振り払うだろうし、自分はそれでとても冷静になれるだろう。
いや、冷静になるどころか、ムキになって力いっぱい腕にしがみ付くかもしれないな、と心配もしていた(全てのカウンセラーはこの辺のリスクに対し、どのように心得ているんだろう?)。
 
だけど、そういう試みをしないで済んで良かったなぁ、とホッとしていたのだ。
自分から信頼関係をぶち壊すような真似をしなくて良かった。
相手の誠実さを疑って、試すようなことをしなくて良かった。
 
その後、話は「痛いところばかり見つめないで、心地よいところにも目を向けるように」といった重要な…この日のカウンセリングの最も大切なアドバイスに繋がるのだけど、自分はハイハイと聞きながらも、ずっと先ほどの出来事の儚さを考えていたように思う。
 
先生に触れることがあるとすれば、このカウンセリングが最終回を迎える時の別れの握手だろうと思っていたのだ。
その時しかチャンスはない! と思い込んでいたのですよ(笑)。
妄想なんかは絶対その通りにならないのだから、そんな先のこと考えなきゃいいのになぁ!
 
そうして、この、人のぬくもりを求める気持ちは、どちらに流していけば健全と言えるのだろう?

あなたの父親は完璧なのよ?

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母と電話していたら、流れであたくしのカウンセリングの話になった。
あたくしがそこで何をしているのか、カウンセラーの先生に何をされているのか、母は興味があるようだ。
 
それに、あたくしがカウンセラーのお世話になることに、母は負い目を感じてる。
あたくしのカウンセリング通いは、
 「あなたがやり損なったことがあるから、娘は病んでカウンセリングを受けてます」
 と、暗に母を責めているのだろう。
 
確かにかつては責めてるニュアンスがあったけれど(笑)、今は正直、そんな気持ちはない。
たくさんのことがすでに解決したし、残っているものも解決しつつある。
今の先生のカウンセリングを受けてから、自分はだいぶ色々なことが分かってきた。
 
「それでも続けるのは、もっと自分を知りたいからだよ?」
「要するに、面白いからやってるんだよ」とあたくしが説明すると、
「そこまでして、どうして自分のことを知らなければいけないのか?」と母は言う。
 
そこまでというのは、お金と時間とあたくしの苦悩、全てに関してだと思う。
「もっと好きなことをして気晴らしした方が良くないかい?」
「お小遣いが足りないなら、言ってね?」 
そんなお金持ちの人みたいなことを母は言う。
 
 
 
うっかり「カウンセリングではカウンセラーはパパ役をするんだよ」と言ってしまったら、母は軽くショックを受けたみたいだ。
「ほら、自分のカウンセラーは男性だから、パパ役になるんだよ」と慌てて付け足しても母は納得しない。
それは、母だけでなく父もまた不足があったから、と言っているようなものなのだろう。
「いやそういう訳でなく…」
どんな柔らかい言い方をしたら通じるだろうと思いながら、
「ほら、お父さんはさ、すごく忙しくて育児にあまり参加できなかったじゃない?」
と言ってみた。
昭和の父は、みんな普通にそんな感じだから。
 
「あんた分かってない、そんなことないよ!」
間髪入れず、母は大きな声を上げた。
「お父さんはね、毎晩仕事から帰ってくるとまず一番最初におまえの側に行って、頭からつま先まで、どこか怪我をしていないか調べてたよ?」
その話を聞くのは初めてではなかったんだけど、なんだか今日の印象は違ってた。
「おまえを宝物のように扱って、ちょっとでも怪我をしていたら、あたしはもの凄い剣幕で怒られたんだから!」
 
だから、父親は全然育児に参加してなかった訳じゃない。
子どもをとても愛していたし、実際に大切にしていた。
育児に参加する理想的な父親だったんだよ、と母は力説する。
それなのにあんたは、何だってカウンセラーのパパ役が必要になるのよ? と。
 
真実を捻じ曲げて何事もなかったかのように解釈する母に、いつもイライラしていた。
何もないのに不満を訴えるおまえの感覚がおかしい、ひねくれている、と何度も言われた。
 
だけど今日は、一生懸命に父をかばう母に、初めて「あぁ、大変だったんだね、お母さん」という気持ちがジワァ〜と湧いてきた。
 
 
 
人は、生まれてからおおよそ3歳くらいまで記憶の空白期間がある。
実はこれが愛着形成にとってとても大切な時間らしい。
その間に作られた癖みたいなものは、3歳以降の記憶や思考によって解釈されることになるのだけれど、それは時に相当お門違いだったりするらしい。
…と、最近、本で読んだ。
 
自分が一生懸命に謎解きしようとしても、カウンセラーの先生から「無駄!」「ハズレ!」と言われるのはそういうワケだ。
 
赤ちゃんの頃のあたしは恐らく、自分のせいで母が父から怒られている場面を、見ている。
ビックリして動きが止まっているかもしれない。
怖くて泣いているかもしれない。
 
当然覚えていないけれど、赤ちゃんだった自分は何かを見て学習したはずだ。
どうしたら、この空間が平和になるか、一生懸命に考えたかもしれない。
 
自分の中の安全基地がどのように不完全なのか、あたくしには知る由もない。
そうして、その修復にはカウンセラー扮する偽パパのサポートが必要だなんて、親に理解できるワケがない。
カウンセリングルームで自分の魂が、赤ちゃんから現在までの様々な時間を行ったり来たり、壮大な旅をしているのなんて、到底伝えきれないのだ。
 
 
 
電話の向こうから母の声が聞こえてくる。
「お母さん、子どもの頃のおまえに、いろいろ頼っちゃっていたの、ごめんね」
「うんうん、分かってる、大変だったの分かってるから」
咄嗟にそうは言ったけれど、それは実は意外な言葉だった。
 
本当は自分、全然分かってないのかもしれない。
だけれどもきっと、あたくしはずうっと、そんな言葉を待っていたのだ。
だからもう、余計なことを言う必要はない。
 
先生にいつも「その感情を、よく味わいなさい」と言われているのに、あたくしはあっという間に感情の渦に飲まれてしまった。
ダメだな、自分、修行が足らぬ。

また、嘘をつく。

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前回の面接で夢の中の徒競走の話をした時に、私は言った。
「わたしは足がとてもノロいので、一等賞なんて夢の中でしかありえない。
 現実では、小学校の6年間、徒競走で四等賞以上になったことがありません」
だいたい6人くらいでヨーイドンで、いつも後ろから数えた方が早い感じ。
 
「その時、どんな気持ちでしたか?」とカウンセラーの先生が聞いてきた。
まさか現実世界の話になるとは思ってなかったので、自分は少しうろたえたのかもしれない。
慌てて、まくしたてるように、こう言った。
「どんな、って別に? 早く終わればいいなぁ〜って思ってましたよ?
 でも、そんなに気にならない。自分はお絵描きやお勉強は達者だったから」
自分は明らかに不自然で、何やらソワソワしていたのだけど、先生は「あっ、そう?」と言って、その日の面接は時間を迎えてお開きになった。
 
帰り道、そのモヤモヤ感を抱えながらの帰途、自分はその理由に気が付いて、面接の最後の方をやり直したくなった。
路上で足が止まり、走って戻りたくなった。
なし! なし! さっきのなし!
 
ああ、また嘘をついてしまった…
 
 
 
そういう訳で、今回の面接はのっけからその件を話題にしてみる。
申し訳なさそうにカミングアウトする自分に、
「あなたが嘘を付いてもさぁ〜、僕は全然気が付かないよ?」
「いつもそんな風に考えちゃうの?」
そういう時、先生は、ややサディスティックな感じの笑みをする。
「でも、あなたが言いたいというなら、ホントのこと言ってもいいけど?」
 
あっ、そうですか、じゃあ言いますね?
「徒競走でビリでも平気だった、っていうのは嘘です」
あれは大人の自分が子ども時代の自分に言ってあげたいことで、当時の真実の気持ちではないのです。
 
母親が朝から海苔巻きとか唐揚げとか作って、父親は一眼レフを抱えて運動会を見に来るんです。
その晴れの舞台で毎年ビリ。
前日まで雨が降らないか期待していたし、当日は熱の朝は平熱であることを呪ってましたよ。
本当は…とても嫌でしたよ。惨めでした。
 
惨めな気持ちを思い出したついでに、あたくしは、とんでもないことも考えていた。
自分は、こんな歳にもなって、“ああ、先生がパパだったら、運動会でビリでも自分に気まずい思いをさせないのになぁ”と思っちゃっていたのだ。
 
子どもの頃、何でも「早くしろ」と急き立て、ダラダラしていると不愉快になる父親を怖がっていたことを思い出したのだ。
そんな父の嫌な部分を、何故だか自分はずうっと忘れていた。
手を叩いて何事も急がせる父を、子どもの時は本当に恐れていた。
「自分はね、たとえ父に嫌な部分があったとしても、それは父のほんの一部分だと分かっているつもりなんですよ? でも、そんなお父さんは嫌だなあ、取り替えちゃいたいなあ〜って一瞬でも思っちゃったんですよ。世界でたった一人の実の父なのに」
 
 
 
先生は、勝手に50歳のオバさんのパパにされちゃったことには一言も触れずに、言った。
「あなたはホントにもらい下手なんだなぁ」
 
そう、「もらい上手になる」ってミッションはまだ継続中なのだ。
 
「僕、あなたの話を聞いてて思うんだけど、あなたのお父さんやお母さんは、あなたが運動会で一等賞取ることなんて期待してなかったと思うんだけど」
あたくしは、そう言われても全然ピンとこない。
「我が子が走っているの見れたら、何等賞でも良かったと思うよ」
ねえ、そうじゃない? という顔を先生はする。
 
そこまで言わせてやっと腑に落ちるのだった。
 …ああ、そうだねぇ、考えたこともなかったけれど、もし自分に子どもがいたら、きっとそう思うに違いない。
親として多少歯がゆく思っても、そんなことで我が子を恥ずかしく思ったりしないだろう。
 
しかし“もらい上手”をマスターするのは難儀なことだ。
しばし間を置いて、あたくしが率直な感想を伝えると、先生は「いや、今、ちょっと出来てた」と言う。
どこが“ちょっと出来てた”のかは全く分からない。
 
あたくしが妄想の世界の理想のパパにすがりつこうとすると、先生はそっと現実の世界にあたくしを押し戻す。
現実の世界で、ちゃんと受け取りなさいと促す。
 
「もらい上手」になれば、自分の中に揺るぎない安心感が生まれて、以前のような場面でもパニックが起きなくなるよ、と先生は言う。
 
そうなったらどんなにいいだろう?
 
勝手に罪悪感を感じたり、別の自分になりたいと思ったり、常に頑張ってないと愛されないという脅迫観念に駆られたり、そんなことから解放されたらどんなにいいだろう?
 
そんなことにメモリーを使わずに済んだら、どんなに心も身体も軽くなるだろう!
 
先生はあたくしの言動を疑ったりしないし、嘘を見破ったりしない、移ろう自分をそのまま見ている。
だから罪悪感なんて必要ないんだ。

夢分析的アプローチ。

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夢の中で泣いてしまい、その自分の泣き声で目覚めたことはあるだろうか?
幼少期…おそらく4〜5歳の頃の夢で、とても印象的なものがある。
 
子どもの夢のパターンとしてはいたってシンプルで、母親が死ぬ夢だ。
 
運動会で一等賞を取り、副賞に置き時計をもらうのだ。
昭和な時代、サイドボードの上に置いてあったような飾り時計。
それを得意になって親に見せようと観客席に戻ると、人だかりになっている。
胸騒ぎがすると、近くの人が教えてくれる。
「あなたのお母さん、ベンチの下敷きになっているよ」
見ると、コンクリートのとても頑丈そうなベンチがひっくり返っている。
この下にお母さんが?
大人の男性3人くらいでそのベンチを避けると…そこには…
殻から割り出された、生卵が… 土の上にビロ〜〜ン、と!
これがお母さんというのか! 何という姿に!
あたくしはビックリして号泣。
うわ〜〜〜〜ん!
 
…である。
こうして書くと、全くもって陳腐で怖い夢じゃないんだけれどね、自分にとっては非常に怖い。
現実の自分は、幼少期から驚くほどノロくて徒競走どころか日常生活でも後ろの方をヨチヨチ走っていたから、一等賞なんてありえないのだ。
それだからなのか、この夢には強烈に訴えてくる教訓があるのだ。
 
「おまえが楽しむと誰か死ぬ」
 
 
 
たった一度しか見ていない夢が、なぜそんなに強烈に記憶に残るのか分からない。
おそらく夢そのものより、その夢が持つメッセージに恐怖しているのだろう。
夢のことは忘れても、その夢が残した教訓は常に頭から離れない。
 
自分はいつも楽しみすぎないように気を付けてきた。
有頂天にならないように気をつけ、周囲から浮き上がらないように調和を保つ。
それは、すでに4〜5歳に生まれた感覚なのだなぁ。
 
思う存分楽しんだ時、多くの人は爽快感を得られると思うのだけれど、あたくしの場合はどこか後ろめたさを感じ、「すみません、見逃してください」となってしまう。
誰に見逃してもらいたいのか?(笑)ってのは分からない。
何か、人智のおよばぬ壮大なパワーが、楽しむ自分に怒りの雷を落とすと思い込んでしまっている。
 
この夢から導き出されるメッセージが、自分の全般性不安障害による漠然とした、しかも結構強烈な不安に緩やかに繋がっていることに気付いたのは極く最近だ。
だから、そのうちカウンセリングでこの夢の話をしようと思っていた。
 
 
 
あたくしはずっとこの夢は、ぶっちゃけ“母親から植え付けらた禁忌”だと解釈していた。
今でこそ母親への感情は冷めたものだけど、幼少期の自分にとって母親は守ってもらいたい大切な存在であったろう。
当時、母親の死をイメージするような出来事が自分に起こったのかは記憶にないのだけれど、何か「いい子にしてなきゃ!」と思うような出来事があったに違いないと。
 
しかし、いつものことですが、カウンセラーの先生は最後まで聞いて一言。
「それは違うような気がするなぁ〜」
 
はい、そうですか。そう来ると思っていました。
最近では、こうした全否定も驚きません(笑)。
いや、むしろ、そのために先生にお話ししていると言っても過言ではないのです。
 
「夢は本来、健全なものだから」と、先生は言った。
そうだろうか? あんなに怖い夢なのに?
 
「夢の中のお母さんが、現実のお母さんじゃないことは分かってる?」
「そうなんでしょうね、夢の中では生卵ですからね」
「夢の中のお母さんってのは、あなたの中の母性の象徴だと思うのだけど」
「わたしの中のかぁ…」
「その頃、あなたの成長過程で古いお母さん像が死に、新しい母性が生まれつつあったんじゃないのかな?」
 
「じゃあ、じゃあ…」あたくしは問わずにはおれなかった。
「どうして、“楽しむと誰かが死んじゃう”って解釈に結びつくんですか?」
 
「夢はさあ、健全なんだよ?」
先生がもう一度、夢の健全性を強調する。
え〜、その根拠は?と思いながらもあたくしは応える。
「じゃあ、わたしの解釈が不健全ってことなんでしょうか?」
 
「いや、不健全とまではいわないけどさ、
 それが、あなたの思考の癖なんだな」
 
癖…
 
 
 
 
「あなたさぁ、そんなに走らなくてもいいんだよ。
 一等賞じゃなくてもいいんじゃない?
 途中で嫌になったら走るの辞めたっていいし、
 そもそも徒競走に出なくてもいい…」
 
すでにこれは夢の分析ではないな? 現在の自分に関する話に違いない。
子どもの頃の怖い夢は、もう怖い夢ではなくなった。
あれは、幼児期を脱して子どもの世界に入ろうとする時のシンボリックな夢。
 
けれど、「おまえが楽しむと誰か死ぬ」「いつも頑張らねばならない」といった数々の強迫観念は、宙ぶらりんになってまだ存在していた。

話すよりも恥ずかしく怖いこと。

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カウンセリングでクラシックカメラの話をしたのをきっかけに、
「じゃあさぁ、今度、撮った写真を持って来なよ?」
と、カウンセラーの先生に勧められた。
それであたくしは、すっかり動揺しているのであった。
 
先生は軽い気持ちで言っただけ…なのは分かっている。
自意識過剰なあまり、こちらがこんなに苦悩しているとは露ほども知らないだろう。
 
普段の面接では自分は聞かれてもいないことまでもペラペラと率先してお喋りしてしまうし、すでに頼まれもしないのに、カウンセリングルームに自分が描いたイラストや昔に作った粘土細工を持参したことがある。
それはそれは無理矢理で不自然な、開けっぴろげさ、なのである。
 
自分は他人と適度な距離感を保つのがとても下手くそだ。
目の前からその人がいつ消えてしまうのか不安でたまらない。
自分はいつも焦っている。
 
カウンセラーとの関係を急速に距離を縮めようと、自分のあらゆる情報を提供しようと無理ばかりした。
その様子はカウンセラーから見ると痛々しかったのだろう。
「心の準備が出来てないことは、無理に話さなくてもいいんだよ?」とやんわりと止められたことが何度かある。
そんな時も、自分は自分の心が準備できているのか省みる余裕もないのだ。
 
自分は相手に理解してもらいたいという煩悩にまみれている。
それなのに、相手からご要望があると尻込みしてしまう…そんな自分は何なのか?
そうして、お喋りするよりも、自分が撮った写真を見せる方が、恥ずかしくて怖いとは!
 
 
 
とりあえず、「いやいやいや! 写真は苦手で…」と、軽く断ったりしてみた。
普通だったら、「あ、そう?」とかで終わりそうな話題なのだけれども、何故かこの件に関しては先生は熱心に写真作品を持ってくるように口説いてくれるのだった。
 
学生時代はいつもコンパクトカメラ持ち歩き、よく写真を撮った。
その頃の自分には、留めておきたい時間がたくさんあったのだろう。
でも、仕上がったプリントを見ると、何だか違う。
 
「それに、自分の写真って、何だか隠し撮りみたいな感じなんですよねー」
自分の写真の出来は不本意だなのだ、という言い訳を先生は聞かないフリをする。
「いいの、いいの、そんなんで」
 
いや、あたくしはそんなのよくない、どうしたら良いのだろう? と考える。
ついつい自分の心は、正解探しに奔走してしまう。
「あ、そうだ、たくさん撮りまくって、現実と写真のギャップを埋めていけばいいんですね!」
思わず思考をそのまま言葉にすると、すかさず先生が返す。
「いいの、ズレたまんまで!」
そうそう、先生のポリシーは「変わるな!」でしたっけ…。
 
「ズレてるな〜って感じるだけでいいんだよ?」
ただ感じるってのが、自分にとっては難しいのだ、とても。
 
 
 
先生はあたくしに言った。
「あなたはさぁ、お喋り上手いよね〜。
 あなたのお話は聞いていて面白いよ?」
でも、これはきっと、褒め言葉ではないのだな。
 
この時間はあたくしが自分の為に準備した時間なのに、こうしている間にもあたくしは、先生を楽しませようと考えてしまっている。
自分に向き合うための時間なのに、相手の反応ばかり考えてしまう。
 
あたくしには半世紀近くを費やして築き上げた言葉の鎧があって、きっと今、それがものすごく邪魔になっているんだろう。
この先に進むのには、“非言語の世界”に突入する必要があるのかもしれない。
そこは言葉のデコレーションが通用しない世界だろうからね。
 
そのうち自分は、かなり頑張ってそれらしい写真を撮り、大きめにプリントして持参するに決まってる。
そうして先生が黙って写真を眺める側であたくしは、またもやあれこれ言葉で繕おうとするのだろう。
 
本当の自分を知ってもらいたい。
けれども、本当の自分を知ったなら、きっと相手は失望するに違いない。
この矛盾する気持ち、強固な信念を、自分は変えることができるのだろうか?
 
それとも、これはいつもの邪推であり、おずおずと写真を差し出したあたくしに、
「は〜、こんな感じですか、確かに…あははっ♪ いいじゃないですか!」
と、先生はまるで能天気なコメントを投げかけてくれるのだろうか?

記憶の不思議。

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先日、夫とあたくしの友人との三人で居酒屋で飲んでいたら、夫は少々飲み過ぎたのか、突然、自身のかつての鬱体験を語り出して仰天した。
隣にいたあたくしは「やめときなよ」の気持ちを込めてテーブルの下で軽く足を蹴飛ばしてみたけれど、一度スイッチが入った夫の語りは止まらない。
仕方がないな…と聞くうちに、あたくしは何だか奇妙な気持ちになり、次第に自分の顔から血の気が抜けていくのを感じた。
 
その帰り道、地元の駅から自宅までの道のり、きっとあたくしは怖い顔をしていたのだろう。
夫はどこか怯えており、横に並んで歩かず、キッチリ2メートルくらい後ろをトボトボと付いて来る。
 
自分は怒っていたのではなくてむしろ唖然としていた。
と、いうのも約15年ぶりに夫の口から語られた当時の出来事は、自分の認識とは随分違っていたから。
 
一番ビックリしたのは…あたくしは夫の鬱の面倒を見ているうちに、最初のパニック発作を経験したのだけれど、夫の記憶だとあたくしの方がすでに先に鬱を患っていたという風にアレンジされていたことだ。
それゆえに夫の鬱に素早く気が付き、すぐに病院に連れて行ってくれた…と。
夫はあたくしのことをまるで「良い嫁さん」のように語っていた。
 
 
 
しかし、事実は少し違う。
夫は2週間無断欠勤をした上に、あたくしがとりあえず休職して欲しいとお願いしたにも関わらず、10年以上勤めた会社を急に辞めた。
毎日布団の中でただオイオイ泣いて、そうして、頑として病院には行かなかった。
「自分はタダの怠け者だから」と傷病手当も雇用保険の手続きもしなかった。
(今思えばだが、会社の総務あたりからのアドバイスも何一つなかった)
 
当時、結婚3年目で、あたくしは自宅でお仕事をしていた。
子供ができた時に家で仕事してた方が仕事量の調整も容易だろう、育児との両立もしやすいだろうと夫婦で話し合って、あたくしは自営業に切り替えたのだ。
そこそこのお仕事をいただけるようになっていたけれど、フルで働いていた頃の収入には及ばない。
こんなことなら辞めるんじゃなかった! と後悔した。
 
夫の母親に相談したところ、「こっちに帰ってきて好きなだけ実家でノンビリ暮らしたらいい」と言う。
田舎に帰っちゃったらその先、夫と自分の仕事はどうするの? と、自分は不安になった。
 
思いつくだけいろんな人に相談したような気がするのだけれど、大概の人が「ゆっくり休めば良くなるよ」みたいに、暗にそんなに焦らなくても大丈夫だよ、とあたくしを安心させようとした。そこで自分はますます不安になった。
 
なだめてもすかしても脅しても、夫は「病気ではないので病院には行かない」と言う。
鬱になるまで夫の変化に全く気がつかなかった自分をとても責めた。
実際に夫の上司には「奥さん、ちゃんと見ててくださいよ」と言われた。
今なら、じゃあ鬱になるまで働かせた会社の責任は?と思うけれど、当時のあたくしはそんな理不尽な言葉をすっかり真に受けてオロオロしてしまった。
 
仕事を納品日に間に合わせるよう必死で夜鍋仕事をしながら、当時自分がどのように夫の面倒を見ていたのか、実は自分にもほどんど記憶がない。
隣の部屋で布団をかぶってシクシク泣き続ける夫の気配を感じながら、自分は気もそぞろでパソコン仕事をしていたのだろう。
 
ある日、ちょっとだけ打ち合わせに出掛けて帰宅したら、台所のガスコンロの青い炎だけがボウッと点いていてギクリとしたことがある。
流しに片手鍋と丼が突っ込んであって、夫が自分でラーメンを作った後、コンロの火を消すのを忘れたらしいと気付いたら、「夫を一人にしてはいけない」とゾッとした。
 
そんな日々が半年も続いたある日、自分は突然パニック発作に見舞われたのだ。
転がって苦しんでいる自分に夫が近寄ってきて、無邪気な子供みたいに「大丈夫?」と聞いた。
あたくしは鬼の形相で絶叫した。
「大丈夫じゃねえ!」
いつまでも病院に行くのを拒むから、自分まで病気になった!と物凄い勢いで夫を責めた。
 
それでやっと夫は病院に行ってくれたのだ。
そして、抗鬱剤を飲むと、嘘のように直ぐに夫は元通りになった。
結果的に自分の方が長患いになってしまったが…。
 
あのあたくしの、鬼と化して放った魂の叫びを、夫は全く覚えていないようなのだ。
 
 
 
居酒屋で、夫の語りを聞いているうちに、やっと思い出したのだことがある。
どうして、あんなに強烈な記憶をすっかり忘れていたんだろう?
夫が何度も何度も「ベランダから飛び降りて死にたい」と言ったことを。
 
あの半年間、ちょっとでも目を離したら夫は死ぬかもしれない、と自分は毎日毎日、怖かったのだ。
どうしよう、しっかりしなきゃ、全部ちゃんとやらなきゃ、何かあったら自分の所為だ、と自分は常に緊張していた。
居酒屋で夫の話を聞いているうちに、当時の恐怖と緊張感が、まるで電子レンジで解凍したみたいに、目の前にホッカホッカの状態で再現されちゃったのだな。
 
自分はずっとこの件に関しては怒っていると思っていたけれど、それはフェイクな気持ちで、ものすごく怖がっていたのだ。
記憶って不思議。
 
そうして何よりの問題はそんな記憶の相違ではなく、「あんた何言ってんの? ちげーよ!」とざっくばらんに当時を振り返ることのできない、今現在の“二人の関係性”だと思うのだけれど!

青い空に雲流れる。

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カウンセリングの日はみぞれ混じりの寒い日だった。
持って行こうと思っていたRICOHのAUTO HALF Eは、もうちょっとキレイにしようと蓋を外して掃除して再び組み立てたら、またもやシャッターが降りなくなっただけでなく、ネジではない謎の小さな部品が一個余ってしまった!
急遽、別のAUTO HALF Eと、前回話に出たドイツカメラをカバンに入れてお邪魔する。
 
今日は前回の面接に関して一言謝るところから入ろうと決めていた。
「先日お話したカメラに付いてるマークの件、
 家に帰ってみたら、
 かなり記憶と違っててビックリして…」
 
え、何、何? と先生は目をパチクリする。
 
あたくしは持参したドイツカメラを差し出す。
「アヤフヤな記憶に乗っかって、泣いちゃうなんて、
 自分、なんてイイ加減なんだろう!と、
 これはいかんな〜と、思いまして」
 
先生は興味深げに、ドイツカメラのレンズ周りをシゲシゲと眺めたり、ファインダーを覗いたりして耳だけ貸してくれてる。
そうそう、今の自分は恥ずかしがっているので、それくらいで丁度いい。
 
「僕、そんなの全然気にならないけど?」
と、先生は言った。
「人間の記憶ってさぁ、いい加減なんだよ!」
いつもの、アハハッ♪って感じである。
「人間の脳って、盛っちゃうんだよ! 謝ることじゃあないよ!」
 
 
 
最初の面接で、先生は「言いたくないこと、まだ心の準備ができてないことは、言わなくていい」と言ってくれたのだ。
この一言は、セラピーと称して何やら無理やりこじ開けられるのでは?と不安だった自分をとても楽にしてくれた。
それならば嘘を付く必要なんかなくて、いつでも本当のことだけ言えばいい。
そんな夢の空間、今まであっただろうか?
だからその時は、先生の前では出来る限り本当のことを言おう、と思ったのだ。
 
それなのに自分は、前回のカウンセリングでは咄嗟にいくつも嘘を付いたのだった。
 
酷いことに、自分はヤケクソになって怒り丸出しで、こんなことまで言い放ったのだ(会話の流れの詳細は、省く…)。
「わたしは、愛のないセックスなんて、今まで一度もしたことないですよ!」
 
はい、ダウト!
これまで自分の悲惨な恋愛話を先生に散々聞かせておいて、どの口が言う!なのです(笑)。
 
でもその時の先生は、自分に対して“嘘を付いてますね?”と突っ込んだりはせず、小学生みたいに「へぇ? それは良かったですねぇ!」と、不満気に口を尖らせたのだ。
 
 
 
屋外での樹木調査の仕事は済んで、今は事務所でそれをデータ化している段階。
一日中、パソコンで数字を打ち込んでいると、あまりに単調で脳内に別の思考スペースが出来てしまう。
そうして、仕事の間じゅう自動思考の虜になってしまうのだ。
 
ここ一週間ばかりはずっと「何故、あんな嘘を?」と自問自答していた。
「嘘を付いてまで、人の気を引きたい訳?」と自分に憤ったり、「何?あの先生の返し、子供っぽすぎる! もしかして自分のあまりのしつこさにウンザリして、テキトウしてる?」と“疑心暗鬼の嵐”に陥ったりしていた。
 
そうして、あたくしはしょうもないことに何度も何度も頭の中で
「わたしは、愛のないセックスなんて、今まで一度もしたことないですよ!」
「へぇ? それは良かったですねぇ!」
を、映像を交えリピートしたのだった。
 
ある日の午後、静かな静かなオフィスで、そのリピート無限グルグルをしているうちに、突然それらが全て滑稽に思えて、顔中が笑顔になってしまった。
あたくしは、その思い出し笑いを堪えるのに必死だった。
普段あまり動かさない口角の筋肉がギューっと上がるのを感じて、「自分、笑ってる」と自覚したら、目も少しウルっとなった。
 
その時、脳内にバーッと青空が広がって、上空は空気の流れが激しいのか、ちぎれ雲がドンドン流れているのが、見えた。
自分の大好きな世界。
見ていると逆に、自分がゆっくりと倒れ込んでいくような錯覚に陥るあの風景!
 
自分の心は移り変わってる。
同じものを見ても、泣いたり笑ったり、クルクルと変わるんだ!
 
「…そういう訳で、わたしの心は常に移ろっていることに気付いたのです」
と、あたくしがご報告すると、
「あ、それ、いい気付きですね〜」と先生はニコリとした。
 
そうしてその日の先生は、
「カメラ持ってるんだからさ、写真撮ってくださいよ」
と、あたくしにしきりに奨めたのだった。
植田正治の世界 (コロナ・ブックス)

植田正治の世界 (コロナ・ブックス)

 

 ※日本の写真家の中で一番好きなのはこの人。オシャレすぎて怖い世界。そこにあるのは紛れもなく過去の幻なのだけど何やら新しい。一番好きとか言っておいて、実は他にあまり知らない不勉強なあたくし…(笑)。写真を撮ったら?と言われても、自分はどんな世界が好きなのか? …まずはそこから始めなくてはいけないの。