脳の汁とか電気的な瞬きとか。
晴れたり曇ったりのココロはいかに生まれるのか?
ここ数年の読書傾向は、これまでの心理学系に加えて脳科学系の本が多くなった。多分、自身の病気を様々な角度で見たい、知りたいという心の現れだと思うのだけど、そうして出会った本の中で『フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する』という脳科学に関する本がある。著者であるミチオ・カク先生は理論物理学者で専門は素粒子論(!)。そうした宇宙のことばかり考えている人だから、脳や心に関する考察も超クールでなかなかに刺激的な本です。
(ちなみにこの本は、500ページを超える大作! それだけに読み応えがあり、最新の脳科学に関してかなり網羅されてます。日本でこんな大作を庶民へのエンターテインメントとして書く先生はいないだろうし、出そうとする出版社がないのが残念なくらい)
この本によれば、うつの原因究明と対処法が時代ごとに変わっていて、今は第三世代に移りつつあるそうだ。
第一世代 原因)誰のせいか?…対処)心理療法
第二世代 原因)脳内物質のアンバランス?…対処)薬物
第三世代 原因)脳内システムのアンバランス?…対処)電気 ←今、ここ!
と、いうわけで、様々な精神疾患は脳内の誤配線によるものなんじゃないか?といった予測とともに、従来の心理療法や薬物に加えて、脳に電気刺激を与えるといった治療が普及するやもしれません…(脳に電気って…昭和な人は「電気けいれん療法」とか思い出しちゃうけど、そんなのではなく、もっと微弱でデリケートな電気を使うらしい)。
自分のように、薬物による効果がイマイチで、脳の汁が足りなくて…という説に懐疑的だった人からすると「ふうん、そうかもね」と思うのです。
久々に頭の中の暗雲が取れちゃう体験をした
ここ数週間、心理療法が功を奏しているのか何だかは分からないんだけど、暗い不安な気持ちから解き放たれ、随分気持ちの良い時間を過ごすことができました。
まさに、空を覆っていた厚い雲が一層されたような、晴れやかな気持ち。
重いコートを脱いだ時の、軽やかな感じ。
あまりにも幸福感に包まれているので「躁状態になるんじゃないか?」「このあと激しい鬱状態に突き落とされるのでは?」と心配になり、定期的に通う主治医に相談した。
「あなた、考えすぎ! あなたには双極性障害の兆候はありません」
とのことで、「またもや考えすぎか、イカンイカン」と反省しているうちに、そうか、これが病気…全般性不安障害になる以前の、普通の精神状態なんだわ、と気が付いた。
人間って、ココロが健康なら、そもそも、あらゆることがハッピーなんだわ、と。
偶然通りすがりの人の優しさに触れた時の嬉しさ。
お散歩してて、偶然面白い体験ができた時の「あたくしラッキー!」といった喜び。
遠くの友達から届いた優しいメールを読んだ時の幸福感。
こういった出来事に、ここのところ、いちいち超絶幸福感に包まれウルウルしていたのだけど、久しぶりだから刺激が強く感じるだけで、これが健康なココロの反応なのだろう。
この世は奇跡の連続。世界が喜びに包まれているというのは本当だ。
恐らく、それを受信できる能力があるか、ないかの違いなのだ!(←多少、感情が高ぶった感じ(笑))
しかし、儚くも元の心臓バクバク&ドンヨリに…
ところが、そんな素晴らしい気づきがあった後、些細なことをきっかけに、また元のドンヨリとした気持ちに戻ってしまった。
ココロの暗雲は広がるのが早い…。
というわけで、私の感情は世界が作っているのではなく、私自身が作っているということが、非常にリアルに体感できた数週間でした。この変化が、脳の汁の量的変化なのか、脳の回線が繋がったり途切れたりしているのかは分かりませんけどね。
この辺りを、「バイクの押しがけ(タイヤの方を回してエンジンを始動させようとする、バッテリーが上がってしまったときなどの対処方法)」的な感じでココロを何とかしちゃおうというのが、恐らく、自己啓発本であり、認知行動療法なんでしょうな。よく分かりました。
ハッピーな気持ちが、未来の方にココロを向けさせるというのも、体感できたことの一つ。
「恫喝する人に出会ったら、パニックが発動して、やがてダウンする」という、あたくしの性能に関しては依然、変化がないのですけど、鬱な気持ちさえ取り払われれば、勝手に勇気が出て変化を求めるのです。実際に、求人検索とかしていて(再雇用されるかは、また別の話ですが)、今考えると少し驚きです。
気分の変化が儚くて、まだオロオロしているけど、いかに儚くても、この変化は良い兆候なんだろうな、と考えてます。
※分厚い本だけど、これを読んだらしばらくは脳科学の小ネタには困らないよ!
カウンセリングで陽性転移を体験したよ。
カウンセリングの場でよく起こる陽性転移とは…
どんな風に陽性転移は起こったのか
あたくしの陽性転移のリアルな感情は
陽性転移をカウンセラーに告白するべきか?
あの日、助けてくれなかった親。
3人目のカウンセラーにトラウマ治療をゆだねる。
またしてもカウンセリングにチャレンジの理由
現在、性懲りもなく3人目のカウンセラーにお世話になってます…。
トラウマ治療のカウンセラーを探してみる
カウンセラー、どんな基準で選びますか?
今度は長期泥沼化は避けよう!と思いました。
3人目のカウンセラーの初回カウンセリングは…
初対面の人に自分の悩みを話すのは緊張するものです
頑張っているのに変わらない。何もしなくても変わる。
*敢えてオススメするとしたら、以下の2冊あたりなど。
- 作者: メラニーフェネル,曽田和子
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性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー
- 作者: アルバートエリス,Arbert Ellis,斉藤勇
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「わたしも◯◯を克服しました」というカウンセラー。
カウンセリングの勉強では、ロールプレイングが欠かせません。いろいろな方の価値観や悩み事に触れられるので、とっても貴重な機会なのですが、この間、クライアント役の方が偶然にも自分と共通の悩み(パニック症状)を持っている人でした。
なぜかと言うに、カウンセリングの練習の課題は、
相手の感じていることを、自分の体験として感じること
なのです。
そういう風にして、なんとか練習を終了させることにしたのですが、本当にヒヤヒヤドキドキでした。
自分が分からない時はまず、心と身体感覚をつなげてみる。
不思議なことがありまして、昨日のブログに書いた本人から2ヶ月振りに連絡が来ました。何だか縁が繋がってゆけそうで、嬉しいです。
先日の喧嘩の話が再び出るかどうか分かりませんが、ふとした弾みにそんな流れになったなら、今度は友人にも分かりやすいように自分の気持ちをお喋りできればいいなと思います。
「分かってくれて当然といった傲慢な気持ちを減らす」だけでも、怒りも喧嘩も減るハズです。
ところで、「子どもの幼少期に親がオノマトペを使って話しかけると、情操教育に良い」という話題をフト目にしました。オノマトペというのは、キラキラ、ワクワクといった擬音・擬態語のことですよね。
幼児教育を考える時、お勉強の前に、まず心を育てましょう〜というのが、最近の「頭の良い子どもを育てたい」人達の間では定説らしい。ちょいと調べたら、育児関連ではこれが結構話題になっているようで、その効果といったら教育にとどまらず、スポーツや医療の分野でも注目されているとか…。
で、これを読んで、「ほーほーほー」と深く納得です。
なぜなら、自分の今の気持ちや行動を正確に描写できる表現力は、心と身体感覚をつなげてくれるので、精神の健やかさを保つのに非常に役立つと感じるからです。子どもだけでなく、むしろ大人に大切なスキルと思われます。
人は無意識に他人の顔色を伺うあまりに、自分の気持ちの変化に伴う身体感覚は案外無視してしまっているのですよ。大人になるにつれ、自分がどう思っているかより、他人がどう思っているか考え、判断や行動をするようになりますよね。空気を読むってやつですか? それも社会的にはとても大切なスキルなんではあるのですが、あまりにも外界からの反応を重視して判断する癖がしみついてしまうと、直接、自分の気持ちを観察する機会が減ってしまいます。
人は自分の体の微妙の変化から「あ〜自分、嫌なんだわ」とか心の動きを測ったりしているところがあります。実は、思考よりも反応の方が早くて、思考はその反応に対する理由付けを行っているだけ、という説もあるくらい。そうした身体の反応にあまり気を配らないで、どう立ち回るのが良いか思考優先で物事を処理していると、本来の感情というのは無視されているだけで依然、存在はしているので、何かの折に体調に現れてくるのですよ。
心理療法の手法で「フォーカシング」というのがあります。
その中に、喜怒哀楽を感じた時の体感を表現するトレーニングというものがあって、
例えば、「怒りが胃の上のあたりで、グツグツしてます」とか
「熱い鉄の玉がグルグルしている感じです」
などと、体感にピッタリの言葉を探し、表現するのです。
感情が生まれた原因を分析するのではなく、感情そのものを体感として捉えるトレーニングってのがミソです。
これなんかは、分断された心と身体感覚を、再びつなぎ直す行為。
そんな風に自分の体感を言葉を使って追っていくと、その体感が変わったり、うっすらと消えていったりするのを目の当たりにすることができて、なかなか面白い。
「ありのまま見る」「心の移ろいを感じる」あたりは、瞑想にも共通するエッセンスだと思います。瞑想よりフォーカシングの方が想像力を使うという点と、どうやら覗いている場所が違うあたりが、双方の異なる部分かな。
フォーカシングは、練習すれば自分一人で行うこともできるそうなのですが、やはり最初は熟練した方にガイドしてもらった方がよさそう。良い指導者を見つけるのが容易でないところがネックかな? (あたくし自身は、たまたま現在のカウンセラーさんの得意技だったようで、偶然、体験しました)
あたくしはどうも認知行動療法のような自らを合理的に納得させるような方法はダメみたいで、本は何冊も買ったのですが、全く効果を得ることができませんでした。理屈っぽいから認知行動療法は当然効果あるだろうという思い込みは、どうやら正しくないらしい。認知行動療法の本を読むと、自分にはどういった思考の偏りがあるかはよ〜く分かるのだけど、肝心の行動が変わんないんだよね。分かってもなかなか変わらないので、余計イライラします(笑)。
そういう訳で、イマイチ自分の感情をコントロールしづらいとお考えの方は、脳の説得はいったん置いておいて、厄介な感情がどんな身体感覚をもたらしているのか…と、心と身体感覚の繋がりに注目するといいかもしれません。